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いろはにほへとに隠された意味とは?怖いと噂される歌詞の真相をわかりやすく解説

雑学
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「いろはにほへと」という言葉を、どこかで聞いたことがある人は多いでしょう。
古くから日本に伝わるこの「いろは歌」は、実はただの五十音の練習歌ではありません。
その中には、仏教の教えや“死”にまつわるメッセージが隠されているとも言われています。
一見やさしい響きのこの歌が、なぜ「怖い」と噂されるようになったのでしょうか。
この記事では、歴史・意味・都市伝説の順にわかりやすく紐解いていきます。

そこで最初に、いろは歌がどんな背景で生まれ、どのように使われてきたのかを整理しておきます。

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いろは歌とは?

「いろは歌」は、平安時代に作られたとされる日本語の短歌です。
仮名47文字を一度ずつしか使わず、「あ」から「ん」までを網羅した、いわば日本語のアルファベット練習のような存在でした。
教育や手習いの場で使われたほか、法令文書などの「いろは順」として、江戸時代までは広く生活に根付いていました。

いろは歌の全文


いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

現代仮名遣いでは、「ゐ」=「い」、「ゑ」=「え」に置き換えられます。
つまり、「いろはにほへと ちりぬるを…」と続くこの歌が、五十音をすべて含むよう巧みに構成されているのです。

基本的な成り立ちを押さえたところで、次は歌詞そのものが何を語っているのかに目を向けてみます。

いろは歌に込められた意味

いろは歌の歌詞を一文として眺めたとき、まず印象に残るのは、静かで淡々とした語り口かもしれません。花が咲いて散り、人が酔い、そして夢から覚める。そんな抽象的で詩的な情景が、淡々と並んでいるようにも見えます。

ただ、念のため立ち止まって読み解いてみると、この歌全体が「人生とは何か」「この世に生きるとはどういうことか」という問いを、ぎゅっと凝縮した形で示していることが見えてきます。

いろは歌は、

「色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず」

という構成を持っています。

最初に語られる「色は匂へど」は、花が美しく咲き誇る状態を指す、と解釈されることが一般的です。視覚的にも嗅覚的にも最高潮にある花は、人の人生でいえば、若さや成功、幸福の絶頂期に重ねられることが多いでしょう。

しかし、その直後に「散りぬるを」と続く点が肝心です。どれほど美しく、価値があるものでも、必ず散り、失われていく。その事実が、あっさりと提示されています。

続く「我が世誰ぞ 常ならむ」では、その無常性が人間自身へと向けられます。この世に生きる誰が、永遠に同じ状態でいられるのか。そう問いかけているわけです。

ここで語られているのは特定の誰かではなく、すべての人に共通する前提条件と言えるでしょう。若さも、地位も、感情も、そして命そのものも、変化の中にあります。この問いは、読む側にも静かに投げ返されているように感じられます。

「有為の奥山 今日越えて」になると、視点はさらに内面的な領域へ移っていきます。「有為」とは、仏教的には因果によって生じた現象世界、つまり迷いや執着に満ちたこの世そのものを指す言葉です。

その奥山を「今日越える」とは、迷いの世界を抜け出そうとする意志、あるいは覚悟を象徴していると考えられます。険しい山を越える行為は、誰にとっても容易ではありません。それでも歩みを止めずに進む姿勢が、ここに重ねられているようにも見えます。

最後の「浅き夢見じ 酔ひもせず」は、これまでの流れを受けた締めくくりです。「浅き夢」は一時的な欲望や幻想、表面的な喜びを指す比喩とされることが多く、「酔い」もまた、現実を見失う状態の象徴として解釈されます。

つまり、移ろいやすいものに心を奪われるのではなく、目を覚まし、冷静に生きていこうとする姿勢が示されている、と言えるでしょう。いろは歌が単なる観察の詩ではなく、ある種の生き方の指針を含んでいる理由も、この部分に表れています。

こうして各句を追っていくと、いろは歌全体が「美は必ず失われる」「人の世に永遠はない」「迷いの世界を自覚し、目覚めて生きる」という流れで組み立てられていることがわかります。これは仏教における無常観、つまりすべての存在は変化し続けるという思想と深く重なっています。

ただし、ここで注意したいのは、いたずらに悲観へ誘導しているわけではない点です。無常であることを知った上で、どう向き合うのかが問われている。そんなふうにも考えられます。

たとえば、満開の桜を見て「どうせ散るから意味がない」と感じる人もいれば、「散るからこそ今この瞬間が貴重だ」と感じる人もいます。いろは歌は、どちらかといえば後者の視点に近い位置から語られているのかもしれません。すべてが移ろうからこそ、執着に溺れず、現実を見据えて生きることが大切だ――その含意が、静かに込められているように思われます。

このように考えると、いろは歌に込められた意味は、単なる言葉遊びや文字の配列を超えた、人生観そのものを凝縮した表現だと言えるでしょう。派手さはありませんが、読む人の状態や年齢によって受け取る印象が変わる点も、この歌の特徴の一つです。

若い頃には抽象的に感じられた言葉が、経験を重ねるにつれて現実味を帯びてくる。いろは歌は、そうした性質を持つ歌とも言えるのかもしれません。

こうした思想的な背景を踏まえたうえで、次に気になるのが「なぜ怖いと言われるようになったのか」という点です。

怖いと噂される理由

いろは歌が「怖い」と噂されるようになった背景には、歌そのものが本来持つ意味とは別に、後世で付け加えられた解釈や読み方が大きく関係しています。もともとこの歌は、人生の無常や仏教的な世界観を端的に表したものと考えられてきました。ただ、時代が下るにつれて、人々の想像力や好奇心が別の方向へ広がり、結果として都市伝説的な語られ方をするようになった、という側面もあるようです。

その代表例としてよく挙げられるのが、「とかなくてしす」という解釈でしょう。いろは歌の文字配列や読みを特定の方法で並べ替えたり、区切り直したりすることで、「咎なくて死す」、つまり「罪がなくても人は死ぬ」という意味が隠されている、という説です。

念のためお伝えしますが、これは正式な歴史資料や成立過程に基づいた解釈ではありません。あくまで後世の人々が作り出した読み替えに近いものとされています。それでも、その言葉が持つ響きや意味が非常に直接的であるため、多くの人に強い印象を残し、「いろは歌=死を暗示する怖い歌」というイメージが広まる一因になったのは確かでしょう。

また、縦読みや暗号説も、怖いと噂される理由の一つです。歌詞を縦に読んだり、一定の間隔で文字を拾ったりすると、死や呪いを連想させる言葉が浮かび上がる、という話が語られることがあります。この種の解釈は、現代で言えば暗号解読や謎解きに近い楽しみ方とも言えます。

ただ、「最初からその意味を隠して作られたのではないか」と考える人が現れると、不気味さが一気に強調されることになります。特に、いろは歌が古い時代の作品であるという事実は、「昔の人は何か恐ろしい意図を込めていたのではないか」という想像をかき立てやすいのかもしれません。

さらに、「呪いの歌」「死の歌」と噂される背景には、人が無常や死というテーマに対して本能的な恐怖を抱きやすい、という心理的な側面も関係しているように思われます。いろは歌は、花が散ることや、この世に常なるものはないという事実を淡々と示していますが、これを前向きな人生観として受け取るか、避けがたい死の宣告のように受け取るかは、読む側の心の状態によって変わってきます。

日常生活の中で不安や迷いを抱えているときほど、「誰ぞ常ならむ」という言葉が、冷たい現実を突きつけるように感じられることもあるでしょう。

具体的な例として、学校でいろは歌を習ったときには特に何も感じなかった人が、大人になってから都市伝説としてこの歌を知り、急に怖く感じ始める、というケースは少なくありません。これは、歌そのものが変わったのではなく、受け取る側の知識や感情のフィルターが変化した結果だと言えます。都市伝説や裏設定を知ることで、意味が上書きされてしまう。そうした現象が、ここでも起きていると考えられます。

このように、いろは歌が怖いと噂される理由は、歌詞に直接的な恐怖表現があるからではありません。後付けの解釈や読み替え、そして人間の想像力が重なり合った結果として、「意味が怖い」という印象が独り歩きしていった側面が大きいのでしょう。

一方で、そのような解釈が生まれる余地を持つほど、いろは歌が多層的で奥行きのある作品であることも、また事実なのかもしれません。

こうした噂話を一歩引いて眺めると、改めて浮かび上がってくるのが、いろは歌の宗教的な背景です。都市伝説的な解釈とは別に、原点となる思想や哲学に目を向けてみましょう。

宗教的背景と哲学的解釈

いろは歌には、仏教経典「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」の影響があるとされています。
「有為の奥山」「浅き夢見じ」などの語句は、まさに仏教思想の「無常」や「悟り」を表すものです。
つまり、表面的には和歌ですが、根底には「悟りの境地を歌った教え」があるとも考えられます。

このような深い背景を知ると、「怖い」と感じる理由が単なる怪談ではなく、生と死を静かに見つめる詩的な怖さであることに気づきます。

では、このような思想を含んだいろは歌は、現代ではどのように受け継がれているのでしょうか。思想としての側面を踏まえた上で、次は「いろは」が今も残る形を見ていきます。

現代に残る「いろは」の形

現在でも「いろは順」という言葉が使われるように、いろは歌の構成は日本文化に深く根付いています。
また、英語にはこれに似た文として有名な例文があります。


The quick brown fox jumps over the lazy dog.

これはアルファベット26文字をすべて含む英文で、まさに「英語版いろは歌」とも言えるでしょう。
この比較からもわかるように、文字を通して言葉の美しさや人生観を表現する文化は、世界共通なのかもしれません。

まとめ

  • 「いろは歌」は、平安時代から伝わる仮名47文字の歌
  • 表面上は手習い歌だが、仏教的な無常観が込められている
  • 「とかなくてしす」など、死を暗示する解釈も存在する
  • “怖い”の本質は、命の儚さを詠んだ静かな恐怖にある

いろはにほへと——この一言に、私たちはどれほどの時の重みと人の想いを重ねてきたのでしょうか。
単なる都市伝説としてではなく、日本語の深層に潜む「生と死の詩」として、改めて感じてみるのも良いかもしれません。