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STARTO社の提訴で見えた本丸 チケット転売は個人より「流通の場」が問題

コラム
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チケット転売問題の本丸は、悪質な個人を叩くことではない。高額転売を継続的な商売に変えている「流通の場」を止められるかどうかだ。今回のSTARTO社の提訴で注目すべきなのは、転売ヤー個人への約2300万円請求の派手さより、チケット流通センター運営会社に対して仲介手数料約14万円の返還を求めた点にある。ここで問われているのは、転売行為そのものだけではなく、転売を成立させて収益化する仕組みの責任だからだ。

まず事実関係を整理したい。報道では、STARTO社がコンサートチケットをめぐって、いわゆる転売ヤーとされる男性に損害賠償を求め、あわせてチケット流通センター運営会社に対して仲介手数料の返還も請求している。現時点で裁判所の判断は出ておらず、最終的にどこまで責任が認められるかは未確定だ。ただ、提訴の設計そのものがこれまでより一段踏み込んでいることは明らかだ。

なぜここが重要なのか。高額転売は、売りたい個人が一人いるだけでは大きな市場にならない。出品できる場所があり、買い手が集まり、決済ができ、受け渡しまで円滑に進むからこそ、転売は「偶発的な行為」ではなく「回る商売」になる。つまり、怒りを個人だけに向けても、場が残れば同じことは繰り返される。今回の提訴は、その循環に切り込もうとしている。

実際、反応を見ても多くの人は「2300万円は本気だ」「転売ヤーをもっと厳しく取り締まれ」といった方向に目が向いている。もちろん、その感情は自然だ。好きなアーティストのライブに行きたい人ほど、正規価格で買えず高額転売に苦しめられてきた。しかし、その怒りが強いほど、論点は逆に狭くなる。「悪い個人を処罰すれば解決する」という見方に収まりやすいからだ。

だが、問題の構造はもっと冷たい。高額転売が続くのは、需要が高いからだけではない。高い需要を吸い上げて価格差を利益に変える仕組みがあり、その仕組みに複数の当事者が関わっているから続く。売り手だけでなく、出品の場を提供する側、手数料を得る側、時にはその利便性を当然視する買い手側まで含めて、はじめて市場は成立する。今回の14万円返還請求は金額だけ見れば小さい。だが、意味は大きい。「あなたはただ場所を貸しただけでは済まないのではないか」という問いを突きつけているからだ。

この点は比較するとわかりやすい。個人への2300万円請求は、違法または不当とされる転売行為の結果責任を強く問う動きだ。一方で、運営会社への14万円請求は、転売を成立させるインフラに対して「そこで得た利益はそのままでいいのか」と問う動きである。前者は違反者への制裁、後者は市場設計への介入だ。どちらが重いかではない。後者に踏み込んだからこそ、今回のニュースは単なる見せしめで終わらない可能性を持つ。

もちろん、注意すべき点もある。二次流通市場を一律に悪とみなす議論は雑だ。急な事情で行けなくなった人が定価や適正な条件で譲る仕組みまで否定すると、利用者保護の観点で別の不便が生まれる。また、正規販売側にも改善余地はある。抽選の不透明感、本人確認の運用、公式リセールの整備不足があると、需要は非公式な流通へ流れやすい。だからこそ、今回の提訴を「転売ヤーを懲らしめる話」だけで読むと浅くなる。必要なのは、違法・不当な高額転売を成立させる経路を狭めつつ、正当な再販売の受け皿をどう整えるかという視点だ。

それでも、今回の提訴が持つ方向性ははっきりしている。チケット転売対策は、個人を捕まえる段階から、流通を支える側の責任を問う段階に移りつつあるということだ。この流れが定着すれば、他の二次流通事業者も「場所を提供しただけ」とは言いにくくなる。高額転売の利益構造に関わるプレイヤー全体が、運営方針や審査体制、規約運用の厳格化を迫られる可能性がある。

読者として押さえるべき結論は一つだ。今回のニュースで本当に見るべきなのは、派手な賠償額ではなく、転売を商売として回してきた構造に矛先が向いたことだ。転売問題は、悪質な個人だけを叩いても終わらない。場が残る限り、形を変えて続く。だからこそ、この提訴は「誰が悪いか」を超えて、「何を止めれば再発しにくくなるか」を問うニュースとして読むべきだ。

次にやることは一つでいい。自分が利用する公演の公式販売規約と、公式リセールの有無を確認することだ。転売市場を弱らせる最初の一歩は、感情的な糾弾ではなく、どの流通が主催者に認められているかを見分けることから始まる。