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相続税は公平のためか制裁のためか Xの反応から見えたズレ

コラム
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相続税の話で最初に押さえるべき結論は一つです。今回の反応で目立ったのは、制度を議論しているようで、実際には「気に入らない相手を罰したい感情」が前に出ていたことです。ここを見誤ると、相続税の是非は永遠に整理されません。

今回のX上の流れでは、相続税に疑問を投げかける投稿に対して、制度の目的や適用範囲を検討する前に、「どうせ金持ちの自己保身だ」「資産家のための主張だ」という反応が強く出ていました。もちろん、相続税には富の固定化を防ぐという再分配の意味があります。そこは外せません。ですが、その正しさを盾にして、誰が言ったかだけで話を切ると、制度の欠陥まで見えなくなります。

相続税の論点は本来、かなり具体的です。どの水準から負担が重くなるのか。都市部の持ち家は評価額の上振れで実態以上に課税感が出ていないか。事業承継では現金収入の少ない資産保有者に無理が出ていないか。基礎控除や特例は現状に合っているのか。こうした話を積み上げないと、税制の議論にはなりません。

ところがSNSでは、ここが簡単に飛ばされます。理由は単純で、税の設計図を読むより、「富裕層を叩く物語」のほうが速く拡散するからです。相続税という言葉が出た瞬間に、「格差」「世襲」「既得権」という連想が走り、その後は制度の細部より感情の整合性が優先されます。すると、相続税を見直すべき論点を出しただけの人まで、富の独占を肯定しているかのように扱われる。これが今回のズレでした。

ここで区別すべきなのは、制度批判と人格批判です。制度批判は、「再分配の必要性は認めつつ、現行の線引きや負担のかけ方に無理があるのではないか」と問います。人格批判は、「その主張をする人は金持ちだから信用できない」と切ります。前者は政策につながりますが、後者は拍手は集まっても設計変更にはつながりません。

しかも、この混線で一番こぼれ落ちるのは、富裕層ではなく普通の家庭の不安です。たとえば、現金は多くないのに不動産評価が高く、相続時に処分を迫られるケース。家業を継ぐのに納税資金の確保が重いケース。親の住まいをどう維持するかで兄弟間の調整が難航するケース。こうした現実は、金持ち叩きの熱量の中では見えにくくなります。

もちろん、相続税を軽くしすぎれば、資産の固定化が進み、機会格差が広がるという懸念はあります。そこは軽視できません。だからこそ必要なのは、全面肯定か全面否定かではなく、どこにどんな負担が集中しているのかを分解することです。富の集中を抑える機能は維持しつつ、生活基盤や事業承継に過度なゆがみが出る部分は修正する。この視点がないまま感情論だけが先行すると、制度は粗いまま残ります。

相続税の議論で本当に危ういのは、怒りが強いことではありません。怒りの向き先が雑になることです。相続税を支持するなら、何を防ぎたいのかを言語化する必要がある。見直しを主張するなら、誰を優遇したいのではなく、どの負担が不合理なのかを示す必要がある。その両方を飛ばして「金持ちに厳しくしておけばよい」で終えるなら、それは公平の議論ではなく、制裁感情の処理です。

今回の反応を見ていてはっきりしたのは、相続税の話になると、多くの人が税制ではなく感情の帳尻を合わせにいくことです。だから議論が進まない。だから普通の家庭の現実も救われない。相続税をめぐる議論を前に進めたいなら、まず「誰が言ったか」を脇に置き、「どこにどんな負担が生じているか」を確認するところから始めるべきです。

読了後の次アクションは一つだけです。まず、自分や家族に関係する可能性がある基礎控除と課税対象の範囲を確認してください。そこを知らないまま賛成か反対かだけを叫んでも、制度の話にはなりません。